心が“しんどい”を通り越すと、何も感じなくなるんだ

限界を感じた時に読む場所

― 感じなくなったあなたへ伝えたい言葉 ―


はじめに

「何も感じなくなった」
最近、そんな言葉をよく聞くようになった。

でも、それって本当に“何も感じてない”わけじゃない。
しんどさを抱え続けた結果、感じる余力がなくなってしまっただけなんだと思う。

今日は、心が壊れるギリギリ手前で、
“無”になったように感じるあの感覚について、
俺の体験を交えて話してみたい。


「しんどい」って言えなくなったのは、いつからだろう

俺自身、かつてはブラック企業で14年間働いていた。
運送業。朝も夜もなく、365日動き続ける現場。

最初はきつくても、「頑張れば報われる」って信じてた。
でも、どれだけ頑張っても現実は変わらなかった。

  • 月に2日しか休めない
  • 「疲れた」って言えば甘えだと笑われる
  • 休憩中も電話が鳴る

そんな毎日の中で、「しんどい」なんて言葉は口に出せなくなっていった。


ある日、感情が消えた

ある朝、ふと気づいたんだ。
目は覚めてるのに、体が動かない。
それどころか、何も感じない

嬉しくもない、悲しくもない。
飯を食っても、何をしても、ただ時間が流れていくだけ。

「俺、死んでないよな?」
そう思った。

それが、心が限界を迎えていたサインだった。


無感覚は「怠け」じゃない。「防衛反応」なんだ

感じないっていうのは、「冷めた」とか「興味がない」とかじゃない。
心の電源を切らなきゃ、もう保てなかったってこと。

車で例えれば、エンジンが焼き切れる寸前に
自動でシャットダウンしてる状態。

これはサボってるんじゃなくて、生き延びるための“防衛本能”なんだよ。


なぜ人は「無」になるまで我慢してしまうのか?

理由はひとつじゃないけど、たぶんこれが大きい。
「逃げたら終わりだ」って思ってたから。

俺もそうだった。
「俺より大変な人がいる」とか
「これぐらいで弱音吐いたら恥ずかしい」とか。

そんな“謎の競争心”に縛られてた。

でも本当は、逃げることより「壊れること」の方がずっと怖い。


感じなくなっても、あなたは終わってない

今、この記事を読んでくれてるあなたが
「何も感じない自分」を責めてるとしたら——
それは間違いだ。

感じなくなったのは、限界まで頑張ってきた証拠。

そして、ここからは“治すターン”に入っていい。
動けないなら、止まっていい。
泣けないなら、黙っててもいい。

壊れたわけじゃない。まだ、感じられるようになる。


回復のはじまりは、“何もしない”から始まった

心が限界を超えて、なにも感じられなくなったとき。
本当に、なにもする気が起きなかった。

起きて、スマホ見て、ため息ついて……それだけ。
人生で一番静かな時間だった。

でも、少しずつ、変化は起きてた。

  • 散歩中に、雲のかたちが面白く見えた
  • 自販機の缶コーヒーが妙においしかった
  • 誰かの投稿に「いいね」をつける余裕ができた

それだけでも、“感じる力が戻ってきた”証拠だった。

そしてある日、思ったんだ。
「この感覚が戻るなら、またやり直せるかも」って。


無感覚なあなただからこそ、伝えたい

  • 大丈夫じゃなくていい
  • 感情がないなら、「感じない自分」をまず認めて
  • 壊れる前に、ひと呼吸置いて

「こんな自分なんてダメだ」と思ったとき点で、
あなたの中に“まだ感じようとする力”がある。

その力を、無理に使わなくていい。
ただ、少しだけ“自分に優しく”してあげてほしい。


最後に

心が“無”になるほど頑張ったあなたは、もう十分立派だ。
焦らなくていい。比べなくていい。
また「感じられる日」は、ちゃんと来る。

あなたが感じる未来に、少しでも希望がありますように。


【ゴリラ兄貴|さよならブラック編集部】

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